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熱過ぎる湯船と冷ややかな視線の記憶――秋保温泉(宮城県仙台市)

熱過ぎる湯船と冷ややかな視線の記憶――秋保温泉(宮城県仙台市)

·1159 文字·3 分

名取川のほとり、仙台至近の「奥座敷」の光景
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作並温泉での足元自噴泉の体験を胸に、私は次なる目的地、秋保温泉(あきうおんせん)へと向かった。仙台駅からバスでわずか30分強。アクセス性は抜群でありながら、名取川沿いに広がる磊々峡(らいらいきょう)の景観など、名湯の風格を漂わせる地である。

まずは『秋保・里センター』で足湯に浸かり、温泉街の穏やかな空気に触れる。ここまでは、どこにでもある心地よい温泉地の昼下がりだった。しかし、この後に訪れた日帰り温泉では、東北の温泉巡りにおいて最も衝撃的な体験をすることになる。

灼熱の湯船と突き刺さる言葉
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秋保温泉共同浴場』に訪れると、そこには地元の人々が日常を過ごす、生活の匂いが漂っていた。しかし、浴槽に足を踏み入れた瞬間に悟った。その湯は、常軌を逸した熱さだったのである。

温泉各地で数々の共同浴場を経験してきた自負はあったが、ここの湯は足先を数秒浸けるのが限界だった。真っ赤になる肌を見つめ、一旦はまともに浸かることを断念して脱衣所へと引き返そうとした、その時だった。

「諦めるのか」

浴槽にどっしりと浸かっていた地元客の集団から、嘲笑混じりの言葉が投げかけられた。室内には彼らの笑い声が響く。これほどストレートに、旅人に対して排他的な暴言を吐かれたのは初めての経験だった。同じ東北の熱い湯であっても、福島・飯坂温泉の地元客は、熱さに悶える旅人に対してどこか温かく、気遣いすら感じさせてくれたものだ。しかし、ここ秋保の共同浴場に流れていたのは、余所者を拒むような冷ややかな視線であった。さながら、鍋奉行ならぬ湯奉行だな、と当時は感じたものだった。

東北の「優しさ」と「排他性」の激しい落差
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直前に訪問した作並温泉・岩松旅館での体験があまりに素晴らしかっただけに、この落差はあまりにも酷かった。足元自噴の野趣に感動し、ニッカ宮城峡への憧憬を抱いた直後の出来事は、旅の情緒を冷淡に塗り替えてしまった。

東北の人間は温かいとよく言われるが、実情はそう単純ではない。地方やコミュニティによって、驚くほど親切な人々がいる一方で、極めて閉鎖的でトゲのある排他性を見せる場所もある。今回の秋保での一件は、私にとって温泉地の「光と影」を痛感させる、苦い教訓となった。

総括:旅の記憶に残る、消えない違和感
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温泉としての格は高く、街並みも美しい秋保温泉。しかし、あの共同浴場の湯船で浴びせられた言葉は、今も私の中にわだかまりとして残っている。

名湯の価値は、お湯の質や建物の歴史だけで決まるものではない。そこに集う人々の空気、旅人を迎え入れる器の大きさも含めての「温泉体験」なのだ。秋保の熱すぎる湯と冷ややかな言葉を後にしながら、私は改めて、温泉地の持つ多面的な素顔を考えずにはいられなかった。

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